前回は、子どもたちが直面しているデジタル教育について考えました。公教育でのパソコンひとり一台時代のデジタル教育で、個別最適化された教育というならドリル課題はもったいないという思いでした。プレゼンや対話などのアウトプットを重視する工夫が求められています。
もう少しこのことを考えてみたいと思います。
なぜなら、大人の学習に対する考え方を、少し転換する必要があると思うからです。
親が、子どもが勉強してるか確認する時は、学校や塾で出される課題をやったかが中心で、学習プリントが勉強の主になっていませんか。それらの課題をみると、穴埋め虫食い問題や選択や短いテキスト回答が中心になっていると思います。課題やレポートが中心になるのは、夏休みの自由研究くらいで、日常化するのは大学生になってからです。
せっかくの文章題でも求められるのは断片化された知識であって、文章の咀嚼を求める問題も選択肢回答というのはいかにも味気ないのですが、これは効率が優先されるからで、なぜこうなるかというと大勢の子どもたちの知識を確認するための試験がこうなっているからです。個別最適化された教育とは真逆の話ですね。
子どもが、自らの考えをまとめる論文形式や資料を使った発表形式の課題は、あまりみかけることがありません。なぜなら、それは採点が難しいからです。
つい最近、とん挫した大学入試改革での英語や小論文の課題と同じ理由なのです。
しかし、大学入試改革での議論に見られたように、これからの社会で求められる学力や測られる学力は確実に変化してきています。
先日、行政のICT教育担当者と話をしていると、こんな話が出ました。
「ひとり一台パソコンの話では、学校はすぐに、アカウントを管理したがります。もうそれは個人の責任にしなくてはなりません。それも含めて情報教育だからです。」
SNSだ、ブログだ、情報共有だと、ID、パスワードが管理できずに溺れている私にとっては、たいへん耳の痛い話でした。こんなものは早く顔認証なり指紋認証なり声紋認証にでもなればいいのにと思いながら、隣国のデジタル管理社会をみると不気味さを感じてしまいますが、これがデジタル社会の方向だとしたら、その社会で生きるためには、もっと自分の考えを深めたり、対話をしたり、意見を表明する力が必要になると考えるのは当然でしょう。
つまり「自立」が重要になるのです。
子どもは、今まで以上に、学習を通して自立することが求められる時代に突入しています。だからこそ「遊び」が重要だと、私は考えています。子どもは「遊び」から自立を始めるからなのですが、その話はまたの機会に。
今まさに、放課後まほらboでは、その実践に取り組んでいます。
(みやけ もとゆき)
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